セレンディピティと南方マンダラ

http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/col/miyanaga/05/
こんな記事を読んで、頭に浮かんだのは

 全ての物事は因→果の線で表すことが出来て、その線と線との交わりが「縁」。ぐるっと回るような線(因果)もあってそういう線は何度も他の線と交差する(縁が多い)。一方で、まったく他の線と交差しない線もある(縁がない)。っていうようなことだったと思う。(本持ってるんだけど日本に置いてきてしまった!)
 そんでもって、ちょうど今読んでいる本、

の中で、
 脳の中の動きを見れば、一見関係ない様々な事柄をまずは無造作にインプットしておいて、それを何かのきっかけで有機的に結合していく−−−これがすなわち創造ということ。社会という単位で見れば、多様性の中での人と人の交流が創造を生む。てなことが書いてあった(ような気がする)。

 えーと、何が言いたいかって言うと、セレンディピティとかって言うのは、様々な単位、一つのプロジェクト、個人、グループ、会社、社会、国、人類・・・と、いろんなレベルで、とにかくまずいかに多くの情報をインプット・ストアできるか、それもあえて考えずに一見関係なさそうなこともとにかくインプットして、あとは脳の能力や人との交流の力を信じてやればいいのではないかと。で、そのとき注意しなくてはいけないのは環境をきちんと整えてあげることではないか。例えば脳であれば、とにかく様々な刺激をインプットし続けること、それも読書だけでなく体も使って全身で感じること、それから後はキチンと睡眠を取って無意識下で記憶を再構成させておいて、あとはそれをどうやって引き出してやるか。僕の場合はとにかく考え続けること。ま、往々にして時間無いのだけどね。考えてみれば、創造活動にとって時間的制約って無意味だと思うけど、社会活動の一環としては経済的制約と比較にならざるを得ないってことか。いずれにしても、インプット〜再構成〜アウトプットっていうのを、意識して行動してみようかと思う。うーん、またまとまらなくなってきたので今日はこの辺で。