音楽的

 さてさて今日も定例バラクーダのライブ、ほとんどがクリスマスソングでした。このクリスマスソング、ともすると惰性のみでつまらない演奏してしまいがちなんだけど、そういうの抜きにして、一つの楽曲としてみてみると、とても良い曲が多い。ジャズでは曲はあくまで素材って言うけど、やっぱりその曲に対して自分がどれだけ入り込めるかっていうのは大事で、その曲への思い入れというか解釈があって始めて演奏に集中できるんじゃないだろうか。それが音楽のベースにあって、その上に他のメンバーのやろうとしていることを感じ取って、それに対して反応していけるか、っていうところがミソなんだなあと改めて思った。
 僕としては、クリスマスソングはメロディがよい曲が多いのでその良さを上手く強調できるように、できるだけ緩急や盛り上がりを意識して演奏するようにしている。またマサヨさんはマサヨさんで、クリスマスソングはこれまでの音楽人生の中でそれこそ何十回何百回と言うほどやってきているせいか、あまり曲に思い入れを持つことは難しいと言うけど、何とかリズムアレンジでマンネリ化を避けようとしている感じ。でも、ベースのジーンはやっぱり昔からこういう曲を聴いてきたからか、どうしても一定のステレオタイプができあがっているようで、どうしても教会の演奏やCMソングのようなアレンジにしようとしがちだった。で、ふと、今回のクリスマスソングに対するジーンのアプローチは、こないだのレコーディングで僕が日本の童謡・民謡で感じたことやろうとしたことと同じなのかなあと感じたわけ。
 音楽に限らず何事もそうなのだと思うけど、まず”形”を身につけるって言うのは大事で、それがきちんとできないと”形無し”で、きちんとできた上で崩すのが”形破れ”とは言うけど、曲に対するアプローチも同じ。単にコード進行だけ追っかけてもあまり意味が無くて、原曲の良さを十二分に判った上で、そこからさらなる良さを引き出すのがアレンジの妙で、あとは演奏者としての解釈と思い入れをソロとして表現するってことができるようになりたいものです。ま、当たり前っちゃ当たり前なんだけど、そういうのが「音楽的」っていうじゃないかと。で、その辺のつっこみ具合が、なじみに曲・何となく知ってる曲っていうのは、どうしても甘くなってしまうのではないか。スタンダードのように体に染みついてしまっているような曲も、たまにはそんな視点から見直してみて、常に新曲を学ぶ感覚で演奏できると良いなあ。そんなことを久しぶりのSakaeでの一人打ち上げしながら考えてました。最近は警察も多いので、この日はビールのみでおとなしく帰りましたとさ。