見えないモノ

 最近、見えないモノを信じることが出来なくなってる気がする。
 上手く説明できるか分からないけど、友人や同僚との信頼関係とかってことだけじゃなくて、たとえば仕事する上で、「会社のため」とか「会社にとって良いこと」って言ったって、「会社って何よ?所詮上長からの評価ってことじゃないの?」ってな批判や疑問に対して、何かしら信じられるモノがあったような気がするのだけど、どうも最近そういうのを感じることが無くなってる気がする。単純にアメリカで暮らしてるせいかなあと結論づけるのも簡単なのだけど、ちょっと考えてみて、実は想像力みたいな能力が無くなってきてるんじゃないかと、ふと思ったわけ。
 日本で仕事してたときに、周りにいたいわゆる使えないおじさん達を見てて、「この人達は何を信じて仕事をしてるんだろう?」って思って、自分なりに「会社」ってものを定義して、そこからの視点や価値判断をしていこうって、常に思っていた気がするのだけど、実は最近その「会社」ってものの定義が大きく揺らいできてる。だから判断もブレるし、一貫性がなくなってみたりと、最近調子の良い割にいまいち成果がでないのは、そんな理由じゃないかとふと感じてるとこ。で、それを世の中が見えてきたからとか、そんなこと言って分かったフリしたら使えないおっさんと一緒じゃん!?世の中がより見えてきたら、そういうネタをもとに、自分なりの会社観をアップグレードしていかないと。そのためにはやっぱより洗練された想像力が必要だよね。
 会社だけでなく、家族とか友達とか好きな人とか、まあその辺はだんだんいわゆる信頼関係とか愛情ってことなのかもしれないけど、イメージとしてはより上位の概念とでもいうのか、そういうのとして見えないモノを信じることって、なんか今後の人生を豊かにしていくために必要なんじゃないかなあと思う。あともう少し単純に、何かを信じているっていうのは、格好いいことだと思うのだけど、盲目的に何かを信じるって言うのは、大人としては何か違うわけで、やっぱそこには個人としてのその信じるモノを信じるに足ると確信出来るための想像力っていう能力があるんじゃないだろうか?それは性格とかってことでなくて、能力として、開発・向上できるものじゃないかと。