放つ

 昔、大学生くらいの頃に、確か「Jazzを放つ」という本があって、まあ、当時の頭でっかちの僕としては、ジャズのうんちくを語る上でもなにかとても感銘したような気がするのだけど、実際のところ、内容はさっぱり覚えていない。ただ、「放つ」という言葉だけはずーっと気になってきてたような気がする。

 結局ジャズって言うのは、あらゆる決まりごとからの「音楽的な逸脱」じゃないかと思うのだけど、まあ「音楽的」ってとこがミソで、要は逸脱しうる枠組みってのがまず必要。でそこからの逸脱の仕方が、ある時はモードだったり、フリージャズだったり、クロスオーバー〜フュージョンだったり、でも一番はキースジャレットのスタンダーズトリオじゃないかと、まあ様々あるわけで、当然それは時代とともに変わってもいくし、別に一つの答えが在るわけでもないし。
 てな感じで、うんちくを語ることもまあ嫌いではないのだけど、単なるうんちくだけでなく、こないだのバラクーダの演奏中に、ふと、この「放つ」っていう感覚を久しぶりに感じたので、何とかそれを言葉として留めておきたい。バラクーダのバンドは、リズム的にはボサノバ〜落ち着いたラテン系リズムのアレンジが多いので、そうすると定番のリズムパターンとしてバスドラムを、ドー・ッド・ドーン・ッドっていう風に踏み続けることが多い。ところが、こないだはかなり集中して演奏できたせいなのか、表も裏もバスドラをかなりフレキシブルに踏んでも、ボサノバのリズムが崩れずに、むしろよりフローティングする感じが出て、なんだかとても気持ちよかった。僕の中では、こういうのも一種の「開放」であり、それはボサノバのお決まりのパターンからの「解放」じゃないかと感じた。
 音楽(に限らないのだろうけど)を学んでいく上で、真似をするっていうのはとても大事なプロセスだと思うのだけど、ある時、そこからブレークスルーする時っていうのが、今までにも何度かあったように思う。前にやっぱり「開放」っていう内容で、結局自分自身で作ってしまう枠が一番やっかいだと思ったのだけど、そういう枠もある程度は有効で、でもそれはいつかは打ち破らなくてはいけない。そういうことを意識しないで出来る人もいるし、意識してそういう生き方をしてる人もいる。別にいばらの道を選ぶというのではなく、自らの殻を破っていくこと、そういう経験が少しでも多くできれば、個として強い人になれるような気がする。幸運なことに僕の周りにはそういうとても尊敬できる人が多くいるので、とても刺激的に感じる。

 ところで、4月にAmazonに注文したCD、すでにロストってことで別のものを再度送ってもらっていたCDがなぜか今更届いた。

 もしこれを読んでる人で、欲しい人がいたら差し上げます。あ、今思い出したのだけど、サニーベールにある日本風居酒屋たんとで、こないだこのCDがかかってた。店員さんにそういう趣味の人がいるのかなあ?聞けば良かった。