Blogを書く意味

 少し前に、僕がBlogに書いた内容がもとで、クレームが入ったことがある。指摘されて、確かに不適切な内容だったので即刻削除したのだけど、人を傷つけたことは確かで、もうBlogを書くのを止めようかとも思った。ま、止めなくても、アクセスを制限したりmixiの日記にすれば、基本的に知らない人は読まないわけだし、ある程度読む人の顔が分かるわけで、余計なことを書くことはなくなる。でも、やっぱりこのまま続けることにした。
 酔っぱらって恥ずかしいことを書くこともあるし、ホントは二人だけの秘密みたいなのを書いてしまったり、依然として人を傷つけてしまうようなことを書いてしまうかもしれない。でも恥ずかしい自分も自分だし、余計なことしゃべってしまうのも自分だし、傷つけるようなことを言うのも自分だ。社会人として自分以外のステークホルダーを考えなくてはならず本音で会話する機会が少なくなってきて、そういう中で、どこかで本音をさらけ出せるところがないと、本当の自分が見えなくなってしまうという恐怖の方が強くなってきてる。会社・身分や建前といったもののない、本音のところで恥も失敗も摩擦も受け止めていくことを意識していかないと、自分の人間力が保てないのではないかという切迫感。もう一つ、僕は実はかなり「格好付け屋」ではないかと言うことだ。ニーチェの言葉に「自分について語ることは自分を隠すこと」と言うのがあったと思うが、自分について書いているウチに、なりたい自分、現在の自分、過去の自分がごちゃごちゃになってきてしまうことがあるような気がする。こうしたことも、過去から継続して公共の場にさらしておくことで、ある程度の緊張感を保ち、矛盾に気付くことができるのではないだろうか。
 

 こないだhttp://amoebamusic.com/www.amoebamusic.com2/html/home.htmで"Samarica Parteira"と一緒に買ったCD。こないだのBadi Assadoに続いてブラジルづいてます。アコーディオンの音が何とも言えず良い味出しててつい聞きながらほほえんでしまう。ああ、夏あたり、またブラジル行きたいなあ・・・今度はRioにもう少し長くいて、ライブやエスコーラジサンバなどなど音楽三昧してみたい、あとはやっぱりSalbadorか。カンドンブレーも見てみたいし、アマゾン川も行ってみたいしなあ。こういう妄想は楽しいな。