虚弱?

 先週からちょっと熱っぽかったのをだましだまししてたのが、今日になって、ちょっと頭痛が我慢できなくなって会社を休んでしまった。こんなんだったら、GWってことで休んておくんだったよ・・・まあ、ソファーで裸同然で寝たのが悪いんだけど、前だったらこんなんで悪化することもなかったのに、やっぱ年っすかね?アメリカに来て4年、健康診断では日本にいたときより好調なのに、体力的にはなぜか虚弱化してるような気がする。
 ま、とにかく少し時間ができたので、読んでなかった本に手を付けてみた。

 正直あまり期待していなかったのだけど読んでみるとかなり面白かった。なんとなく感覚では分かるのだけど説明できなかったのがスッキリした感じ。もちろんこの本の視点も一つも見方に過ぎないのだけど、確かにJazzのいわゆる通史ていうのは、演奏する立場からは書かれていないから(なのかどうか自信ないけど)、ハッキリ言って説明が不連続だったり、強引・無理なこじつけが多いとは思ってた。「誰もそんなこと考えてねーよ!」ってことを無理矢理こじつけるような、オタッキーな解説とか余計な蘊蓄、過剰な感情移入。まあ、僕も大学時代には一人でJazz喫茶に入り浸るくらい、立派なオタク&引きこもりだったけどね。
 面白かったのが、Be-Bopの創生とBerkleeメソッドの関連性。確かにJazzって楽曲の柔軟な解釈とその分析がもたらすアドリブの可能性が、ミュージシャンのクリエイティビティを刺激してきたと思うのだけど、演奏の現場と分析・教育方法論がシンクロしていたっていうのは、50〜60年代のJazzの量・質の爆発的な拡大を考える上でも興味深い。
 本の中での歴史は80年代のMIDI登場のあたりで終わるのだけど、その辺のまとめ方も妙に納得。やっぱり、残念ながらJazzの同時代性って言うのはその辺で失われてしまったと思う。その後は所詮は従来のモノの別の解釈とか再生産ってこと。もちろん、だからってJazzがつまらないっていう訳では無く、まあ、賞味期限を気にするような「生」では無くなったけど、深い味わいは料理次第でいくらでも出てくるって感じかな。(刺身にする鮮度ではないけど干物として十分美味しい、みたいな・・・)でも、もしかしたらそれはJazzだけでなくて、音楽全体に言えるのかもしれない。本の中でも触れられてるけど、「癒し」音楽ブームとか、音楽がサプリメントのように使われ始めてるという。消費者ニーズを満たすような音楽をどんどん「生産」していくように「産業化」してしまっているのでは。音楽の中でのブルーオーシャンてのは本当にもう無いんですかねえ?