寒かった

 アメリカ時代の先輩(上司)お父上の葬儀にでるために、札幌まで日帰りしてきました。日帰りと言っても、午前中は普通に仕事して、午後半休で羽田に直行。群馬あたりに行くより早いです。で、通夜に参加した後すぐまた新千歳から東京へ。やっばり疲れました。でも、頑張って行って良かった。なんか、すごく感じるもののある葬儀でした。先輩(と奥さん)もさすがに僕が来るとは思ってなかったみたいで驚いてたのだけど、すぐお母様に紹介してくれて、その時に泣きながら「アメリカ時代の相棒」って紹介してくれたんです。グッときちゃいました。思わずハグせずにはいられませんでした。

 で、実は感じるものっていうのはそういうことではなく、アメリカにいるときに、事務所とかでいろいろお父上の話、特に社会人になってからの父子の会話について、よく話をしていたなあというのを思い出して、僕は結構それが面白いなあと思って聞いていたわけです。このお父上の精神とか魂っていうのは、着実に息子である僕の先輩に受け継がれていて、さらには、赤の他人である僕にも影響を与えているんだなあなどと、お父上の遺影をボーッと見ながら漠然と考えていたところ、なんかピーンと来るモノがあったんです。もちろん親子だから、生物として遺伝子を残しているというのは当然としても、それだけでなく、実はそこには魂とか精神といったものも受け継がれているわけですよね。ていうか、そっちの方が遺伝子よりも大事なんじゃないかと。だとすると、それは別に親子だけでなく、全ての人間関係に言えることなわけで、つまりは、僕自身という精神とか魂(うー、何か良い言葉ないかなあ・・・実存とか?)も、これまで周りの人から得られたモノであり、それが僕を通して僕の周りの人に伝わっていく。こうして自分と人類全体、宇宙とが「動的平衡」を保ちながらつながってるというのが実感できた気がしたんです。なんか手塚治虫ブッダみたいですが、そうそう、以前紹介しましたが、動的平衡 生命はなぜそこに宿るのかって、僕の中では本当におおきなパラダイムシフトを引き起こしてると思います。

 飛行機の中で読んだ本。

総会屋錦城 (新潮文庫)

総会屋錦城 (新潮文庫)

 短編集で、結局最初の話しか読んでませんが、面白かったです。城山三郎は、なんか男っぽい気持ちになりたいときにいいんですよね。


 そういえば、昨日は誕生日でした。メッセくれた人ありがとう。40歳まで、あと355日です。できればそれまでには、遺伝子も残しておきたいものです。