死んだ

 アメリカに渡って一年したとき(2003年かな?)に、今のMacBookProの前のPowerBookG4を買ったのだけど、その時に思い切ってDTM環境をそろえようとしてLogic(DTMソフト)やexs24サンプラーソフト)などと合わせて買ったemi6/2m(オーディオインターフェイス)が、死んでしまいました。実際には左チャンネルだけなのだけど、突如ノイズバリバリになってしまい、始めはなにか拾ってるのかと思って家中の電化製品の電源を落としたりしたのだけど、結局何をやってもだめで、本体が逝ってしまったようです。ここしばらくはLogicも立ち上げてなくて、入力用としてはほとんど使ってなかったのだけど、iTunesも含めて音は全てemi経由で出してたので困ったモンです。とりあえず今は直でスピーカーにつないでるけど、そんなに大きな音は出してないのだけどやっぱり違います。ヘッドホンではもっと違うんだろうなあ。というわけで、未だ出てないボーナスですが、オーディオインターフェーイスを買わなくてはならなくなりました。ぎゃふん!


 世の中的にどうでもよい話はそれくらいにして、今朝ラジオを聴いていたら突然マイケルの訃報が流れた。信じられなかった。ちょうど僕が中1の時にスリラーが出て、洋楽を聴き始めるのとほとんど同時に彼の音楽に触れたわけで、そりゃ影響でかいです。スリラーの中にThe Girl Is Mineというポールマッカートニーとの競演の曲があるのですが、曲の途中で笑いながら会話する部分がとても好きでした(今聴いたらしょーもない会話ではありますが・・・)。それからジャクソン5へと遡って聴いていったのだけど、理由なんてどうでもよく、とにかく好きになっちゃうんだもん。やっぱスターなんだよねえ。でもホント、プレスリーみたいに、どっかで生きててくれてると信じたい。そのための整形だったんじゃないかと思いたい。


 そんでもって、こないだのキヨシローといい、マイケルといい、生きてきた証というのはCDだのビデオだのとちゃんと作品として残ってるわけです。それに比べて自分は・・・と、ちょっといじけたりもしていた自分がいたのですが、最近はちょっと違うのですよね。そう言う作品にしたって、制作のプロセスまでは関わっていくにしても、一度流通してしまえば自分の手を離れてしまうわけで、そしたら尾ひれだの背びれだの(自分の意志とは関係なく)くっついてきて、ある意味別人格が形成されてしまうケースすらあるわけです。もちろん、それが普遍的な価値を持つ場合もあるわけですが、それはもはや個人ではなく人類の資産なわけですよ(いわゆる本来の意味でのクラシック、古典だね)。ま、そういうのは例外としても、作品自体が与える影響は過小評価する気も無いけど、それでもなお、やはり生に接してきた人間が、生き残っていく人間がどれだけ影響されたのかっていう方が、生きてきた証としては大きいのではないかと思うわけです。こないだ合コンやってるときにまでそんなこと考えてる自分はそんなに嫌いじゃないけど、バカですね。